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自ら命を断った人ー気づいてあげれなかった自分を責めないでー

メンタルヘルス

こんにちは。natuです。

昨日の午後、悲しくて衝撃的なニュースが飛び込んできました。

三浦春馬くん、死去。

自ら命を断ったとのこと。

好きな俳優さんで、彼のくしゃっとなる笑顔が大好きでした。

今日の朝起きたら、「夢でした」「嘘でした」ってなってないかなって思ったけど現実でした。

ホントにホントに本当に居なくなってしまいました。

昨日から彼の事で頭が一杯で、これを書いてる今も涙が零れてきます。

自殺で身近な人を亡くしたとき、周りの人は

「どうして気づいてあげられなかったんだろう」

と自責の念と後悔に苛まれてしまい、その人の人生を背負ってしまう人も少なくありません。

今日は残された人は気づいてあげれなかったと自分を責めないで】についてです。

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周囲がしてあげられたことは限りなく少ない

自殺というのは、1日2日でしようと思って出来るものではない。

「死にたい」

そう思っていても自分の周りにいる大事な人達、子供、恋人、パートナー、友人、親、それらの人が頭をよぎる。

「死」というものに対して恐怖だってある。

まだ、置いてはいけない

もう、疲れた

まだ、悲しませてはいけない

もう、やめたい

まだ、死なない

もう、死んでもいいか

そうやって「生と死」の狭間で揺れながら、ギリギリの所で踏みとどまってる。

いつまでこの問答を繰り返すのか。

いつまで生きればいいのか。

ずっと溶けない鉛玉を抱えて生きている。

でも、同時に鉛玉を溶かす方法も求めてる。

周囲にはそんな素振りすらみせず。

周囲にはいつも通りの自分でいる。

「死」に静かに向かってる人ほど、不思議なほどいつも通りなのだ。

そして、自分の中で

「もう、いいか」

とスイッチが押されるタイミングがやってくる。

それは、誰かの一言だったり、仕事や学校の再開だったり、自分にとってはまた進むにはしんどすぎる現実だ。

そうなったとき、もう息を吸うのと同じように「死」を選べる。

例え、そこで周囲が何かを言ったとしても止めることは難しいだろう。 

自分を楽にする方法がわかってしまったから。

楽になるとわかっていて、やめられるものではない。

周囲がおかしいことに気づいて、どうにかなんとかしようとしても、人は1度ストンと覚悟を決めたことは変えない。

自分で出した答えだから。

だから、周りの人間がしてあげられたことは殆どないんです。

旅立っていくほうも、

今まで自分を愛してくれたこと。

今まで、自分の側にいてくれたこと。

今まで、寄り添ってくれてたこと。

今まで、ありがとう

そう思って逝ったのだと思います。

だから、決して気づいてあげられなかったと自分を責めないでくださいね。

その人の今までの人生、生きてたら過ごすはずだった未来を背負いこまないでくださいね。

あなたのせいじゃないよ。

最後に

人は2度死ぬと言われてます。

1度目は肉体的な死が訪れたとき。

2度目は誰からも忘れられた時です。

なら、その人の事を覚えている人がいる限りまだ生き続けます。

いつまでも覚えている

時折、あの人の笑顔を思い出す

それも残された私達に出来ることの1つだと思っています。

素敵なお芝居、素敵な歌声、素敵な素敵な笑顔。

いつまでも忘れません。

本当に本当にありがとう。

ご冥福をお祈りいたします。

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