むすこは読み書きができない。それでもいいじゃない!-③親の葛藤-

こんにちは。natuです(^O^)
もうじき今年も終わりですね。
新しい年の幕開けが近いということで、私も新しくセッションの受付時間を変更致しました。
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宜しくお願いします。
今日は息子のはるが【学習症と気づいてからの葛藤】について書いていきますね。
親が願うこと
はるが小学4年生の始めの頃に学習症(学習障害)と気づきました。
気づいた後は医療機関で検査してもらうのか、このまま様子を見るのかで夫婦で悩みました。
最初の話し合いでは学習症と判断できる所もあるし、そうでない所もある事。
確かに勉強は人より遅れているけど、そこまで気にすることじゃないんではないか。
検査させることによって、そうであってもそうじゃなくても本人に障害を持っている疑いがあって、自分は人とは違うんだと知った時に与えるショックも懸念しました。
それらを踏まえて、
「検査させるまでのことはないんじゃないか。一旦様子を見ることにしよう」
との結論に至りました。
ですが、私の中にはモヤっとしたものが残っていました。
本当にこれがはるの為なのかな?
人より勉強が出来ない子のままでいいのかな?
もしかしたら、何か理由があってそうなのかもしれない。
そうだったら、何か親である私達に出来ることがあるんじゃないのかな?
でも、何もないのに検査させてたらはるを傷つけてしまうことになる。
どうするのが1番いいのだろう?
そんな風に自問自答していました。
それからというもの、姉から発達障害のお子さんを持つ親御さんから話を聞いたよと情報が入ってきたり、
旦那さんの会社で発達障害についての議論があったり、
新聞などふと目にした時に特集を組まれていたり、テレビをつけた瞬間に発達障害の番組をやっていたりと色々な所から情報が入ってきました。
「あ~、これはサインだな」と分かりました。
私に必要じゃなければ情報は入ってこないんですね。
必要だからこそ、入ってくる。
私は思いました。
はるがそうであってもそうじゃなくても、私は私が出来ることをしてはるを助けてあげればいい。
これは障害じゃなくて、特性であり、個性なんだから。
そうであるなら、これからはるがどうやって進んで行けばいいか、はるが将来自分の特性を活かせる道に進めるように導いていってあげればいい。
はるの選択肢を増やしてあげられるように支えていけばいい。
はるは、はるなんだから。
私は意を決して、旦那さんに言いました。
「はるの事だけど、やっぱり検査受けてみない?」
旦那さんは驚いた顔をして、う~ん・・・と少し考えこう言いました。
「う~ん・・・しなくていいんじゃない?そんなに違うかな?俺は気にしなくていいと思うし、大丈夫だと思うんだよね」
私はこの言葉を聞いた時に、旦那さんの裏にある本当の感情に気づきました。
気づいたというよりは、薄々は気づいていたのが確信に変わった瞬間と言った方がいいかもしれません。
私はこう言いました。
「はるが学習障害だったら、イヤ?」
それを聞いた瞬間、旦那さんは黙りこんでしまいました。
「今すぐに決めなくていいから、ゆっくり考えてみてくれる?」
そう旦那さんに告げ、その日は終わりました。
次の日、旦那さんから
「はる、検査、受けさせてみよう。昨日、natuに痛い所つかれたよ。イヤ?って聞かれて、何も言えなかった。俺、イヤだったんだね。はるは男だし、将来は俺のように家族を守っていくんだしと思って、俺ははるを自分と重ねてたんだね」
旦那さんは
<はるを学習症と認めたくない。受け入れたくない。普通じゃないことが嫌>
という本当の感情があったんですね。
だから検査に消極的になっていたんですね。
その後、きちんと検査をしてもらった結果【読み書き障害(ディスレクシア)】だと分かりました。
でもね、この感情は持ったっていいんです。
自分の子が、他の子となんら変わらない健康で普通の子であって欲しい。
人と違うということは、子供が他の子より大変な道を歩いていかなきゃいけないこともわかる。
親だって、他の親より大変な道を歩いていかなきゃいけないこともわかる。
大変だとわかっている道を、わざわざ歩かせたい、歩きたいとは思わないですもんね。
私も何度か思いました。
はるは産まれて3日後にWPW症候群という病気(不整脈の一種)を発症して死にかけ、緊急搬送されてNICUに入りました。
苦しいとも辛いとも言えない生まれたばかりの赤ちゃんであった為、
あの時、母子同室で一緒にいた私が異変に気づいていなければ、はるは亡くなっていたと医者に言われました。
当時のことは、今でも脳裏に焼き付いています。
どうして普通じゃないんだろう?
産まれた時は病気で、今度は学習症?
何で私ばかりこんな目に遭うの?
何で親になってまで普通の人生じゃないの?
私のせい?私の人生が普通じゃないから。
何で子供まで・・・あんまりだよ。
そんな風に自分を責めたこともありました。
嫌だと思ってしまう感情。
自分のせいだと責めてしまう感情。
親であるからこそ、人間であるからこそ抱く感情なんですね。
その感情を否定しなくていいです。
母親がこんなこと思ったらいけないなんて否定しなくていいです。
母親だって1人の人間です。
そう思ってしまった自分を、受け止めてあげてください。
そっか。私、嫌なんだ。
辛いの嫌だもんね。
大変なの嫌だもんね。
私、辛いんだな。
そんな風に、受け止めてあげてくださいね。
嫌だと思ってしまった自分を責めないでくださいね。
子供が発達障害になったのも、あなたのせいじゃありませんからね。
最後に
私は、はるが私を選んでくれたのは、私を<人間>にする為に来てくれたと感じています。
人としての感情を教えてくれるために、
人ってホントはこんなに自由でいていいんだよ
って見せてくれるために来てくれたんだと感じています。
大変なことも確かに多いけど、その分、少しの進歩での喜び、
新しく出来ることが増えた嬉しさ、ほんの些細なことでも嬉しくて、
喜び、人間らしさを教えてくれるはるとの時間はとても大切な時間となっています。
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