こんにちは!natuです(^O^)/
昨日は獅子座の新月でしたね。
天気の影響もあってか頭がガンガン痛くてだるかったですね~(+_+)
私は太陽星座が獅子座で月星座が水瓶座なので、7/23獅子座の新月、8/8水瓶座の満月、8/22の獅子座の新月でしかも日食!と宇宙にものすごいバックアップされている1か月です!
おまけに日食の直前は私の誕生日もあります(笑)
こりゃ~エネルギーの変化が凄まじいだろうな~。
なんだか楽しみです(^O^)
今日はこんな質問を頂いたので答えていきますね。
『毒親に育てられたのに、よくグレなかったですね。なぜですか?』
たしかに、毒親の内情を知るとそういう疑問は出てきますよね。
私がグレなかった理由を書いていきますね。
感情を抑制することもグレることも自分を守るための選択
まずは『毒親』の家庭環境で子供がグレない理由は、その環境を『普通』だと思っているからですね。
比較対象になる家庭環境を知らないからです。
「なんかおかしい」、「なんか違う」と気づいていても自分の家が普通ではないと認めることが出来ないので、その違和感を押し殺して生活しています。
そして『毒親』に育てられた子供ほど親の愛情を欲しています。
「私を愛してほしい」「私を認めて欲しい」「私を見て欲しい」と願っているのです。
自分から親を裏切るようなことをすれば、その願いを自分で消してしまうことになる。
そんなことは到底出来ないんです。
だからグレることもせず、ただ感情を抑制して生きるようになってしまう。
そんな状態で成長し大人になればアダルトチルドレンといわれるようになったり、親の呪縛から逃れられず心のバランスを崩してしまいます。
逆にグレることは行き場のない自分の中の怒りや抑圧された感情を外に放出し、家以外の居場所を見つけることで心のバランスを保とうとしているんです。
親に迷惑を掛けることで、「親に見て欲しい」という気持ちと、潜在的に自分を愛してくれてなかった親へ復讐をしているんですね。
しかしグレることで親との距離がもっと開いてしまい、欲しいものは手に入らない。
外に放出した分、自分に返って来てしまい大人になってからも苦しい思いをたくさんして結局は親の呪縛から逃れられずにいる。
どちらも子供の頃の自分が、自分を守るために選んだのです。
バスケットボールとの出会いに感謝
私は親が『毒親』と気づいてから自立までへのスピードは速かったです。
20代後半でその呪縛から抜け出せたのは、子供の頃に感情を外に出す手段があったこと、何よりも大好きなものにずっと触れていたことで心のバランスを保っていられたことが大きいです。
その大好きなものとは【バスケットボール】です。
小さい頃から色々な習い事をしてみたいと言っては試してすぐにやめてを繰り返していた私が、唯一「飽きた」と言わずずっと続けたのがバスケットボールです。
小学4年生の頃に友達に誘われて体育館に練習を見にいき、バスケットボールに出会いました。
そこから怪我で本格的にやれなくなるまで10年間支えてもらっていました。
小学6年生の不登校をしていた1年間もミニバスだけはずっと行ってました。(学校の許可は取ってました)
その年に県でベスト4に入る事が出来て東海大会へ出場し、コーチが現役時代プレーしたという体育館のコートに私も選手として立ちプレーすることができました。
高校を再受験した時も、バスケットボールが嫌になりかけて高校を辞めたのに、バスケットボールのおかげでまた高校1年生からやろうと決意できて合格しました。
高校の3年間はとても楽しくて、とても厳しくて、とても痛かったです。
高校1年の初夏、捻挫の腫れが全く引かずとてつもない痛みを感じるので大きな病院で検査してもらって言われたのがこの一言です。
「バスケットボールをやめるか、だましだましサポーターを着けながらやるしかない致命的な怪我です。どうしますか?」
他のスポーツならなんとかなるが、バスケやテニスといった細かいターンが非常に多いスポーツには耐えられない足首の状態だと言われました。
最初はめっちゃ混乱しました。
親と監督に言うと両者とも「サポーターを着けてやるしかないじゃん。」と言われ、私には逃げ道はないんだとその時に確信しました。
私自身も辞める気なんてさらさらなかったので、逃げ道がないと確信したことでとことんやる覚悟ができました。
チームの中心選手だった私は、痛みの原因を減らすため尚且つチームからの長期間の離脱は出来なかったので年に1回の内視鏡手術を2回しました。
それでも痛みは治まらず、最後の大会の時の足の状態は足首の腫れとむくみはもちろんのこと、両足の甲の前の部分が常に腫れていて踏ん張るだけで激痛が走る状態でした。
おまけにマイコプラズマ肺炎に掛かり2週間の静養から復帰2日目という状態で、満身創痍でありながらコートに立ち続けました。
そこまでするほど私にとってバスケットボールと仲間は支えであり、コートの上が居場所でした。
「昔は強かったのにね~。今は弱小高」と言われ地区予選も突破できずにいた高校で県ベスト4に入り、決勝トーナメントのエコパのアリーナコートに立てたことは忘れられません。
昨日の事のように思い出せます。
何があっても絶対にやめなかったバスケットボール。
潜在的に私にはバスケットボールが必要だという事を分かっていたんですね。
大好きなものに触れて、汗を流して走ることで抑制していた感情を自然と吐き出すことが出来ていたんですね。
仲間たちと笑って、讃えあって、悔しがって、切磋琢磨して高め合える私の大切な居場所だったんです。
引退後、手術をすると足首の靭帯が切れてレバー状に血管や神経組織にべったりくっついていて、ここまでになるには最初に捻挫してすぐ位には靭帯が切れていたと思うと言われました。
執刀医はあまりにも珍しい状態だから、学会の資料にすると言って写真を撮っていました。
「こんな状態で2年以上もバスケなんてよくやってたね。痛かったでしょ?普通はできないよ。」
とも言われました。
やり過ぎた後遺症もあって、今は全力疾走が出来ません。
少しバスケをするだけで足がむくんで青ずみます(苦笑)
ですが、後悔はしていません。
私が選んだことです。
バスケットボールに出会えた私も今の私に繋がっています。
出会わせてくれたんだとわかります。
大好きなものの支えがあったからこそ、グレて感情を外に出すという方法を選ばなかったんです。
バスケットボールと仲間がいたからこそ、心のバランスが保たれてきたんです。
私はバスケットボールに救われていたんです。
もしバスケットボールと仲間とコーチと監督に出会えてなかったら、今の私はどうなっているでしょう?
誰も信用できず、親から逃げる事だけを考えていたのかもしれません。
ですが、この出会いも必然。
私が今ここにいるための出会いです。
私が経験してきた事をあなたに伝える為に今までの私がいます。
最後に
あなたが今、『毒親』との関係でもがき苦しんでいても必ず抜け出せます。
あなたの苦しみ、辛さ、やりきれない思いは痛いほどわかります。
そんな思いからはとっとと離れましょう。
そんな思いに縛られて動けなくなってしまっていたら、あなたの人生がもったいない!
さぁ!動くのは今です!
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